流域はっしん!第3回「紫川始まりの場所、〝頂吉〟のヒミツ」

流域はっしん!第3回「紫川はじまりの場所、〝頂吉〟のヒミツ」
紫川の情報発信イベント「流域はっしん!」第3回が6月28日に終えました。
今回は小倉南区、紫川最上流の頂吉地区について紹介いたしました。
「頂吉(かぐめよし)」は初見では読むことは難しい難読地名ですね。
「頂」という字は、「頂む(かごむ、又はかぐむ)」という言葉から来ており、
「頭の上に物を載せている様子」を表します。
この言葉と「頂吉」の地名にまつわる民話、「楽になった福智山」
(財団法人北九州市芸術文化振興財団 発行「民話と伝説マップ~北九州むかしばなし~」)
を要約しますと、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「その昔、福智山の頂上に大きな岩がたくさんあり、福智山は頭の上の岩が重いことを煩わしく思い、日々嘆いておりました。

ある日、英彦山の鬼の兄弟の兄鬼が福智山を不憫に思い、大岩を担ぎ下ろしてあげることになりました。

次々と大岩を降ろしていった兄鬼だったが、途中「英彦山の神様が帰ってくるように言っている」と弟鬼がやって
きます。「そりゃ、大変だ」と慌てた兄鬼は担いでいた大岩をその場に放り出して、
英彦山へと帰ってしまいます。
放り出された大岩は沢に転がり、不安定でグラグラしているところ、弟鬼が岩の下に小石を挟んで大岩をその場所
に落ち着かせました。
下に挟まれた小石が大きな岩を頭の上に載せて支えているように見えることから、この大岩は「頂石(かぐめいし)」と
呼ばれるようになり、それが転じて「頂吉(かぐめよし)」になったと言われています。」

※画像はイメージ画像です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
紫川は福智山系からなる二つの川「山ノ神川(やまのかみがわ)」と「吉原川(よしはらがわ)」の
ふたつからなっており、民話の頂岩の元となったとされる岩が山ノ神川の左岸にあります。

上流側から見ると、小石が岩の下に入っているのが見られます。
もうひとつ、地名の由来として、「福智山の山頂にある巨石説」があります。
福智山が「頂めている」石➡「頂石」から転訛し、「頂吉」になったという説です。
先日登った福智山山頂。たしかに大きな岩がところどころあります。 北九州最高峰900.6m福智山頂からは紫川流域を一望できます。
産業技術総合研究所 地質研究センター 「20万分の1地質地図」から引用 緑色部:玄武岩 青色部:石灰岩
地質図から見ると分かるように福智山は主に玄武岩で構成されていますが、
山頂から南東に石灰岩質が多く見られる場所があります。
石灰岩質の紫川源流部の謎多き谷「満干谷(みちひだに)」
頂吉にはこのような言い伝えがありました…。

郷土史「福岡県 企救群誌」にはこの不思議な現象についてこのように記されています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寛永の頃までは一村なりしが、今は枝郷となれり。此村に満干と云処在。常に満干在事、
潮の如く、岩間より淡水を吹き出すに依、号とす。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
40数年前、昭和時代に林業に従事する方が、真夏の盛り、晴れが続いているにも関わらず、
涸れ切った沢に突然音を立てながら大量の水が流れてきたため、とても驚いたそうです。
記述の通り、江戸時代には小さな村があり、谷の広い場所には石垣が残るなど、
今でも人がいた形跡を見ることが出来ます。その場所は「満干(みちひ)」と呼ばれ、
当時そこに暮らす人たちはこの不思議な現象、そしてその源の存在は知っていたと考えられますが、
戦後、村から人が離れていったことにより、この場所を知る人、その存在は薄れて言い伝えのみが残っていたのです。
不思議な現象の正体は、石灰岩地帯に現れる「間欠冷泉」
北九州市HPより引用
満干谷間欠泉の噴出は最大で毎秒30リットル以上になることも。
一度の総湧出量は多い場合、700~800㎥以上に及び、これは25mプール2~3杯分にもなるそう。
排出時間も十数時間になることも。〝国内最大級の間歇冷泉〟と言ってもいいのではないでしょうか?
このような不思議な自然構造が源流にある紫川、
今度は河原をじっくり見ると〝あるもの〟を見つけることが出来ます。
産業の痕跡が眠る紫川上流部の河原
この普通の河原の石とは少し雰囲気の違う石はなんでしょうか?
記録に残っており分かっている限りでは、江戸時代から頂吉では銅の採掘・精錬が行われていました。
明治時代全盛の頃には、1日およそ360キロも銅が採れていたそうです。
そして、河原でみつかるこの不思議な石の正体は、金属精錬の際に出る「鋼滓(こうさい)」と呼ばれるものです。
工業用語ではスラグと呼ばれるこの物質は、金属を含んだ岩石を一度溶かし、金属はその比重の重さで下に、金属以外の岩石成分は上に分かれますが、この上の層に分かれた「金属以外の不純物」です。(かなりざっくりとした説明)
しかし、江戸時代から行われている頂吉の採銅、
もしかすると〝江戸時代モノ〟の鋼滓もあるかもしれませんね。
Youtubeにて今回の「紫川流域はっしん!」の様子を公開しています。ぜひご覧ください。
①「頂吉の地名の由来や〝満干谷〟について」
②「頂吉の産業の痕跡&満干の谷山行動画」
参考/引用
・財団法人北九州市芸術文化振興財団「民話と伝説マップ~北九州むかしばなし」
・郷土資料 福岡県「企救群誌」
・産業技術研究所 地質調査センターHP
・YAMAP 流域地図
・国土地理院地図
・書籍「満干の潮の研究」/藤井厚志 著
・かぐめよし少年自然の家 所報「めぐニュース」
・北九州市HP

先日登った福智山山頂。たしかに大きな岩がところどころあります。
北九州最高峰900.6m福智山頂からは紫川流域を一望できます。
産業技術総合研究所 地質研究センター 「20万分の1地質地図」から引用
北九州市HPより引用
この普通の河原の石とは少し雰囲気の違う石はなんでしょうか?